大判例

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東京高等裁判所 昭和44年(ネ)1759号 判決

控訴人(附帯被控訴人)

大東京火災海上保険株式会社

代理人

江口保夫

宮原守男

宮田量司

木村俊学

古屋俊雄

復代理人

山川洋一郎

被控訴人(附帯控訴人)

佐藤久子

代理人

鈴木政行

主文

本件附帯控訴を棄却する。

附帯控訴費用は附帯控訴人の負担とする。

原判決中控訴人敗訴の部分を取消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴人(附帯被控訴人)代理人(以下単に控訴人ないし控訴代理人という)は、主文第一項及び第三ないし、第五項と同旨の判決を求め、被控訴人(附帯控訴人)代理人(以下単に被控訴人ないし被控訴代理人という)は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。原判決中被控訴人敗訴の部分を取消す。控訴人は被控訴人に対し一七五万円及びこれに対する昭和四三年九月二〇日から支払済に至るまで年五分の金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述は、左記のほかは原判決事実摘示と同一であるからこれを引用する。

一、控訴人の陳述補足。

(一)  夫と妻又は親とその未成年の子で構成している家庭生活共同体は、社会における最も基礎的で原始的な生活単位であり、そのことから、その中で加害行為が発生し、その結果被害が生じた場合の加害者の責任については特殊な配慮を必要とするものである。

右のような構成の家庭共同体で、しかもその中の加害者と被害者とが現実に一個の円満な家庭を形成している場合、被害者が加害者を相手取つて自己の蒙つた損害の賠償を請求することは、通常ありえないことである。それには種々の理由が考えられるのであり、そのような親族間の加害行為は、一般人の間の加害行為に比して、違法性を欠くとみなされるべき場合が多いのもその一つの理由である。しかし、親族間の加害行為で、しかも違法性の存在を認めざるをえないような場合でも、なおかつ、被害者が加害者に対して損害賠償を請求することは普通考えられない。

その理由としては、まず第一に、前記のような関係にある加害者と被害者の親族としての協力扶助義務(民法第七五二条、第七六〇条、第八二〇条)の存在が考えられる。即ち、加害者が被害者を扶助する義務のある者であるときは、加害者はその協力扶助義務の履行として、被害者が生活を維持して行くために必要な費用を負担することを義務づけられているのであり、このことは、加害行為が仮になかつた場合に比べて何の変りもないのである。そして、このような夫婦の一方から他方に対する扶助義務あるいは親から未成年の子に対する扶助義務は、無償かつ無限定のものであり、被害者は、少なくとも、その受けた傷害の治療、身体的故障の回復、生活等に要する費用を含めた財産的損失を加害者の協力扶助義務の面で直ちに填補してもらえる関係にあり、その意味で、被害者が加害者に対して、前記協力扶助義務から離れて、損害賠償を訴求することは、結局無意味なことに帰するのである。

次に考えられる理由としては、前記財産的損害をも含め、特に被害者の受けた精神的損害については、被害者は、加害者との特殊な身分関係から、一般の加害者に対する場合とは異なる精神状態を有するということである。即ち通常の円満な家庭生活を営んでいる家庭共同体内部においては、その加害行為が円満な家庭生活を破壊するようなものでない限り、加害者自身が最愛の被害者に財産的、身体的及び精神的損害を与えたことに大きな精神的苦痛を受けるのに対し、被害者もまた同情と慰藉の情をもつて接し、両者互いに慰め合い、許し合うことが期待されているのである。そして、被害者が加害者の子であり、その膝下に愛育されて来た幼児である場合には、親の過失による加害行為によつて、親子としての円満な家庭生活が破壊されることは通常ありえないことである。

さらに考慮すべき点は、家族共同体の自治ともいうべきものである。家族共同体内部で加害行為が発生した場合、共同体構成員がその共同体を分裂させたうえで加害者の責任を追及する途を選ぶ場合もあろうし、被害者の受けた損害を共同体内部の経済的、精神的負担で解消することによつて加害者被害者間の紛争を解決し、共同体の維持を図る途を選ぶ場合もあろう。いずれの途を選択するかは、構成員の意思によるものであり、加害行為後も円満な家庭生活が継続的に営まれている場合や被害者が親から離れて自活する能力のない幼児であるような場合は、後者の途が選択されるものというべきである。そして、後者の途が採られた場合は、加害者の法律的責任追及以外の方法により、共同体内部の適宜な手段で、最も妥当な解決を図りうるものということができ、それが法の期待するところである。このことは、たとえば、夫婦間で契約が締結された場合に、これに法的拘束力を与えず、その履行を当事者の愛情又は道義観念に委ね、もつて夫婦間の平和を維持する趣旨で、右のような契約は、婚姻中、何時でも、夫婦の一方からこれを取り消すことができる旨定められている(民法第七五四条)ことからも明らかである。

また逆に加害者と被害者とが形式上夫婦又は親子の関係に立つ者同志であつたとしても、その家族共同体が事実上崩壊している場合は、被害者から加害者に対する損害賠償請求は、前記のように無意味でもなく、その解決を家族内の自治に委ねるべきものでもない。このことは、前記民法第七五四条が夫婦関係が破綻に瀕しているような場合になされた契約には適用されないものと解されていることや、一般に夫婦間の離婚に際して、不法行為を原因とする慰藉の支払が問題とされることに照らして、首肯することができよう。

以上の理由により、加害者が被害者に対して協力扶助義務を負つており、しかも、両者が現実に一個の円満な家族共同体を構成し、かつ、維持継続して行く意思を有する場合は、その加害行為の違法性を論議するまでもなく、被害者の加害者に対する損害賠償請求権は、これを行使することが法律上許されないものと解するのが相当である。

(二)  そこで本件についてみるのに、訴外善紀と被控訴人とは昭和三六年一一月一〇日婚姻届を提出した夫婦であり、同三七年五月五日訴外千代が出生したが、被控訴人ら親子(訴外千代のほか、敏子、征枝の二児あり)は主として都内をはじめ各地の土建飯場を移動しながら円満な家庭生活を営んでいたこと、訴外千代の死亡後被控訴人及び訴外善紀は、ともに千代のめい福を祈りながら現在も円満な夫婦生活を維持している。

次に本件事故は、その結果がきわめて重大ではあるが、訴外善紀の過失によつて発生したものであり、これによつて前記のような円満な家庭生活が事実上破壊され、被害者と加害者とが家族共同体の殻をとりはずして、通常一般人としての対立、問責の関係に立つたとみるべきものでもない。

そうすると、訴外千代及び被控訴人の訴外善紀に対する損害賠償請求権は、前記の理由により、その行使が許されないものである。

二、被控訴人の陳述補足。

同じく親族間の加害行為であつても、親子間の交通事故を親権者が子に懲戒を加えた際の傷害と比較すると、懲戒についてはまず加害行為の違法性(懲戒権の乱用)が問題とされる。しかし交通事故はこのような身分権の行使と直接の関係をもたないのであつて、子の人格も親の人格も共に尊重さるべきであり、父の子に対する交通事故の違法性は認めやすく、かつその損害賠償請求権の行使は親子夫婦共同体の保持の目的に相反するものではない。

さらに損害賠償の観念と協力扶助義務の観念とはほど遠いものであつて加害者と被害者の親族としての協力扶助義務が存在するとしても、それと、平行競合して夫婦間に損害賠償の権利義務関係を認めることとは何ら矛盾するものではない。

次に控訴人は「被害者は、少なくとも、その受けた傷害の治療、身体的故障の回復、生活等に要する費用を含めた財産的損失を加害者の協力扶助義務の面で直ちに填補してもらえる関係にある」旨主張するけれども、本件の場合被害者は死亡したのであるからその損害を填補してもらうことは全く不可能である。

ついで控訴人は「被害者が加害者の子であり、その膝下に愛育されて来た幼児である場合には、親の過失による加害行為によつて、親子としての円満な家庭生活が破壊されることは通常ありえないことである。」旨主張する。加害者とその子の被害者との関係では、被害者は交通事故により死亡したのであるからその間の家庭生活は完全に破壊されたのである。「両者互いに慰め合い、許し合う」ことが期待できなくなつてしまつたのであり、被害者との関係では「共同体の維持を図る途を選ぶか否か」の選択の余地が全くなくなつてしまつたのである。

結論について、かくありたいと強く望み過ぎることは事実とこれについての評価を歪めるものである。

親族間の損害賠償請求権の行使については、一般論としては義務の履行よりも権利行使の任意性に親族間の情誼(但し社会の道徳ないし慣習とはいささかも関係のない人情の義理と言う意味で、)をみることが出来、親族間の情誼から、権利行使が乱用でない場合に損害賠償を差控えることがあるとしても、それ故に加害者の責任を自然債務と解釈することが出来ないのは勿論であるし、控訴人の引用する夫婦間の契約取消権は本件とは係わりのないものであるが、従来もあまり評判のよい規定ではなかつたのであり、妻も夫と同等の能力を確保された今日では、あくまで夫も妻も契約上の責任の所在を明らかにした上、両人納得ずくの妥協点に到達すべきものであるし、規定の趣旨も控訴人主張のようなものではない。

以上の如く被害者の加害者に対する損害賠償請求権は、その加害行為の違法性を論議するまでもなく、これを行使することが法律上許されないものとする控訴人の主張は失当である。

当事者双方の証拠の提出援用認否は、〈略〉

理由

一、被控訴人主張の請求原因(一)記載の事実は当事者間に争いがなく、〈証拠〉を総合すると、埼玉県大里郡川本村大字瀬山七八七番地の三先の路上において被控訴人主張のような経緯により本件事故が発生したことを認めることができ、これに反する証拠はない。

二、当裁判所も訴外佐藤善紀の自賠法三条に基づく本件事故の責任に関し、(ア)亡千代は同条にいう他人に該り、(イ)被控訴人が善紀とともに本件自動車の運行供用者であるということはできないものであり、更に(ウ)亡千代ないし被控訴人は善紀の責任を免除すべきいわゆる好意同乗者ではないと判断するものであるが、その認定判断は原判決一一丁表九行目の「前出甲第一、第二号証」の次に「当審証人佐藤善紀の証言」を加えるほかは、原判決理由説示と同一であるから、ここにその当該部分(原判決一〇丁表七行目から一三丁一行目まで)を引用する。

三、ところで控訴人は、親子、夫婦の間においては被害者がその有する損害賠償請求権を行使することが法律上許されない場合があり本件はこれに該当すると主張する。その所論には傾聴すべきものがあるけれども、円満な家庭生活を維持している親子、夫婦の間において一方が他方に対し損害賠償を請求することが通常の事例ではないからといつて、直ちに法律上一方の有する損害賠償請求権の行使を否定すべきものではないから、結局右主張には左袒することができない。

四、しかし当裁判所は、被控訴人の控訴人に対する本訴請求はすべて認め難いものと判断する。その理由は次のとおりである。

(一) 被控訴人の本訴請求は、自賠法一六条により保険会社たる控訴人に対し損害賠償額の支払を請求するものである。自賠責保険は責任保険であるから損害賠償責任がない以上保険給付ないし右損害賠償額の支払がなされないことはもとよりいうまでもないが、しかし、損害賠償責任があれば当然右の給付等がなされるものとはいえないのであつて、被控訴人の右請求の当否は、前叙善紀の責任の内容、性質と自賠責保険の本旨に照して判断さるべきものである。

(二) 一般に夫婦、または親とその未成年の子によつて構成される家族的生活共同体内の一人より他の者に対し不法行為が行なわれたとき、加害者が被害者を扶助する義務を負担する場合には、被害者において損害賠償の請求をしないのを通例とする。それは単に夫婦、親子の情誼等がかような請求を控えさせるに止まらず、加害者は被害者に対して無限定の協力扶助義務を負うが故に(民法七五二条、七六〇条、八二〇条参照)、右義務の履行により被害者の財産上の損害(特にいわゆる消極的損害)が実質上填補されることと、右生活共同体においては日常の家庭生活が円満に維持継続される限り、被害者は加害者の苦衷をも思いやつて、その所為を宥恕するのを常とする故に、特に精神的損害を考える余地がないこととによるものというべきである。

(三) 一方、自賠責保険は、被保険者が惹起した事故により第三者に対して余儀なくされた出捐を填補することを本旨とするものである(自賠法一五条参照)。このことは、同法一六条の規定による被害者のいわゆる直接の場合においても同様であつて、保険会社が支払うべき損害賠償額は、被保険者の出捐すべき限度に止まることはいうをまたない。

(四) そこで前記生活共同体において協力扶助義務を負う加害者が被保険者である場合について考える。

(1) 右加害者が被害者の治療等の為にする出捐は、その主観的意図ないし名目の如何にかかわらず、その実質において損害賠償義務の履行としてなされるものであることは右共同体外の第三者に対する場合と異るところがないから、右は自賠責保険により填補せらるべきものというべきである。

(2) しかし、右加害者の負担すべき消極的損害及び精神的損害の支払義務については別段の考慮を必要とする。既に述べたように、右生活共同体において円満な日常の家庭生活が維持継続されている限り、被害者がこれらの請求をすることも加害者においてこれが支払をすることもないのが通例である。ところで、自賠責保険は強制保険たる性質上、権利の行使も義務の履行も起り得ないような損害賠償責任をもなお填補すべきものとは認め難いから、右加害者の右の義務は自賠責保険によつて填補される限りではないと解するのを相当とする。

(3) そうしてこのように解することは、前記生活共同体に属する被害者の有する損害賠償請求権の特質と自賠責保険の趣旨とに最もよく適合するものである。すなわち、右(1)は被保険者たる加害者の現実の出捐であるから、自賠責保険がこれを填補することはその趣旨にかなうものというべきである。つぎに消極的損害について右(2)と反対に解すれば、その賠償がなされることになるが、さりとてそのことが加害者の前記協力扶助義務に消長を来すものではないことは右義務の性質上明らかであるから、右の被害者は前記生活共同体外の第三者たる被害者に比し実質上有利な取扱を受ける結果となる。更に、もし精神的損害についても慰藉料の支払を認めると、右生活共同体外の第三者たる被害者は右の支払を得てようやく精神上の痛苦を和わらげ得るのに対して、右生活共同体内に在る被害者は、前叙のとおり既に宥恕の念を有するにかかわらず更に金員の支払を受けることとなる次第であつて、両者の間に彼是均衡を失するものがあるといわざるを得ない。このような結果を肯定することは、自賠責保険が強制保険であることを考えると、結局右生活共同体内に在る被害者が多数の保険契約者の犠牲と負担においていわれなく利得するものであり、右保険の本旨に背致するとのそしりを免れないのである。

(4) 以上に述べたところは、右生活共同体内に在る被害者が保険会社に対し自賠法一六条による損害賠償額の支払を請求する前提として、損害賠償請求権を行使した場合においても帰結を異にするものではない。

(5) 従つて被保険者たる加害者が、円満な日常の家庭生活を維持している前記家族的生活共同体において協力扶助義務を有する者である場合には、右共同体内に在る被害者の消極的損害及び精神的損害に関する出捐は、自賠責保険によつて填補されるものではないというべきである。

(五) ところで叙上の理は、前記生活共同体に属する被害者が死亡した場合についてもそのまま妥当する。何となれば、消極的損害及び精神的損害の賠償請求権が一旦被害者について生じ、これが同人の死亡により相続人に相続によつて承継されるという法律構成を承認する限り、観念的には何等被害者が生存している場合と逕庭がないからである。

(六)  ところで、〈証拠〉によると、善紀と被控訴人は昭和三六年一一月一〇日結婚し、以来本件事故までの間東京都内の各所において善紀は建築業の下請を営み、被控訴人はこれを補助して生活し、その間亡千代を頭に三人の子をもうけたこと、及び本件事故後被控訴人は二子とともに善紀の実家に帰り、一方善紀は東京、横浜、川崎附近において土工として働き右両名は別居しているが、それは専ら善紀の仕事の都合によるものであつて、同人は被控訴人らへの仕送りを絶やしたこともなく、両名の夫婦仲に疎隔を生じたようなことはないことを認めることができ、これに反する証拠はない。右認定の事実によれば、善紀、被控訴人及びその子らは、本件事故の前後を通じて等しく家族的生活共同体を構成して円満な日常の家庭生活を維持継続していたものと認めるのを相当とする。

してみれば、亡千代の消極的損害及び精神的損害の賠償請求権ならびに被控訴人の精神的損害の賠償請求権はいずれも前記一認定の本件自賠責保険の填補するところではないというべきであるから、相続により取得した前者及び後者の各請求権に基づき、控訴人に対しこれらが支払を求める被控訴人の請求は、主たる請求も予備的請求もともに理由がないというべきである。

五、叙上説示のとおりであつてみれば、被控訴人の本訴請求はすべて排斥を免れないから、これと趣旨を異にしその一部を認容した原判決は失当であつて、原判決中控訴人敗訴の部分を取消し、被控訴人の請求を棄却するほかないものであり、また原判決中被控訴人敗訴の部分につき更に支払をもとめる被控訴人の本件附帯控訴はこれを棄却すべきものである。

よつて訴訟費用の負担につき民訴法九五条、九六条、八九条を適用のうえ、主文のとおり判決する。(岡部行男 川上泉 吉田良正)

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